文字文化格差以前
1825年にフランス人ルイ・ブライユによって点字が考案される以前は、目の見えない盲人にとっては、文字が存在しませんでした。
しかし、この点字という視覚障害者用の文字も、目の見える晴眼者の世界で印刷物が普及してきたことに対する危機感から生まれたものと言えます。
15世紀後半にグーテンベルクによって印刷技術が発明されていたものの、やはりこれが本格的に普及しはじめたのは18世紀のイギリスから始まる産業革命が引き金となっていたからです。
1825年にフランス人ルイ・ブライユによって点字が考案される以前は、目の見えない盲人にとっては、文字が存在しませんでした。
しかし、この点字という視覚障害者用の文字も、目の見える晴眼者の世界で印刷物が普及してきたことに対する危機感から生まれたものと言えます。
15世紀後半にグーテンベルクによって印刷技術が発明されていたものの、やはりこれが本格的に普及しはじめたのは18世紀のイギリスから始まる産業革命が引き金となっていたからです。
4世紀の神学者、アレキサンドリアのディディムスは、4・5歳の時に失明した盲人でしたが、仲間の学者から対面朗読を受け、それを自ら木片にアルファベットで刻み込み、研究を進めたと伝えられています。
彼は、アレキサンドリア大学の教授となっています。
日本においては、平安時代末期に、琵琶を奏でながら語る琵琶法師という盲目の語り部達が現れました。
彼らは、鎌倉時代に入ると、「平家物語」を語る「平家琵琶」となり、江戸時代末期までその文化が花開きます。
当時の日本には、文字はあっても印刷技術がなかったため、文化を伝える手段としては、手書きによる写本かまたは語り伝えるというやり方しかありませんでした。
おそらく、当時は晴眼者ですらその多くが「言い伝え方式」でいろんなことを習得していたのでしょうから、その意味で、視覚障害者の抱える文字に対するハンディは、今よりもかなり小さかったと言えます。
15世紀後半にグーテンベルクが開発した印刷技術が16世紀になってヨーロッパに広まると、まず最初に聖書が大量に印刷され、ルターやカルビンによって宗教改革が展開されます。
この段階から晴眼者の文字文化は急激に進歩していきます。
一方、盲人にとっては記録を自分で残す手段と他者が残した記録を読む手段がない状態が長らく続きます。
ここにおいて、晴眼者と視覚障害者の文化的格差は見る間に広まっていきました。
文字を印刷という情報メディアの形で獲得した晴眼者、それに対してまだ使える文字を持たない盲人。その間の文化インフラの差は大変なものです。
しかし、このような時代にあっても、活躍した盲人の文化人も存在しました。
17世紀にイギリスで活躍した作家ミルトンや18世紀に日本で歴史学を修めた塙保己一は、盲人が文字を持たない時代の例外的な文化的巨匠といえるでしょう。
一方、文字の読み書きによる格差が比較的気にならない音楽の分野においては、16世紀以降もかなりの盲人の活躍が見られます。
しかし、これも楽譜の重要性が高まるにつれて、徐々に厳しくなってきます。