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文化 アーカイブ

2005年09月07日

文字文化格差以前

1825年にフランス人ルイ・ブライユによって点字が考案される以前は、目の見えない盲人にとっては、文字が存在しませんでした。
しかし、この点字という視覚障害者用の文字も、目の見える晴眼者の世界で印刷物が普及してきたことに対する危機感から生まれたものと言えます。
15世紀後半にグーテンベルクによって印刷技術が発明されていたものの、やはりこれが本格的に普及しはじめたのは18世紀のイギリスから始まる産業革命が引き金となっていたからです。

ローマ時代の盲人学者

 4世紀の神学者、アレキサンドリアのディディムスは、4・5歳の時に失明した盲人でしたが、仲間の学者から対面朗読を受け、それを自ら木片にアルファベットで刻み込み、研究を進めたと伝えられています。
彼は、アレキサンドリア大学の教授となっています。

2005年09月10日

点字以前の文化人

文字を印刷という情報メディアの形で獲得した晴眼者、それに対してまだ使える文字を持たない盲人。その間の文化インフラの差は大変なものです。
しかし、このような時代にあっても、活躍した盲人の文化人も存在しました。
17世紀にイギリスで活躍した作家ミルトンや18世紀に日本で歴史学を修めた塙保己一は、盲人が文字を持たない時代の例外的な文化的巨匠といえるでしょう。

一方、文字の読み書きによる格差が比較的気にならない音楽の分野においては、16世紀以降もかなりの盲人の活躍が見られます。
しかし、これも楽譜の重要性が高まるにつれて、徐々に厳しくなってきます。

2005年10月26日

米国における盲人文化の進展

米国においては、1868年にボストン公共図書館の中に視覚障害者部門が開設され、ボストン・タイプやアメリカン・ブレールの図書を収集し、視覚障害者サービスが開始されました。以来、米国では、公共図書館が視覚障害者に対するサービスも行うというスタイルが定着しました。
また、小規模な凸字の出版社は19世紀前半からいくつかありましたが、1876年にケンタッキー州ルイビルにアメリカン・プリンティングハウスが、1880年にボストンにハウ・プレスが設立されるに至って、凸字や点字での出版が大規模に行われるようになりました。
1892年にフランク・ホールがブライユ式点字のタイプライターと点字製版機を発明するに至って、米国でもブライユ式点字が徐々に勢力を強めていきます。
1904年には点字郵便物の無料配送が法律化され、図書館サービスや文庫サービスが行いやすくなりました。また、1931年にプラット・スムート法が成立して、米国議会図書館の障害者サービスがスタートします。
米国議会図書館のサービスは、今でもその基本スタイルは変わっていません。連邦政府がかなり大規模な予算をつけて、点字図書や録音図書を大量に製作させ、これを地域の公共図書館を通して個々の障害者に貸し出すというものです。1967年以降は、「図書館利用に障害のある人達」すべてを対象にサービスを展開しています。

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イギリスにおける盲人文化の進展

イギリスにおいては、先にも述べたように、1868年にアーミテージが中心となって設立した英国内外盲人協会(現在は「王立盲人援護協会」 Royal National Institute for the Blind)が、視覚障害者の総合的なリハビリテーションのリード役となっています。
1882年に視覚障害者であるアーノルドとダウ夫人によって設立された盲人国民図書館(National Library for the Blind)は、世界で最初に大きな成功を収めた点字図書館で、無報酬のボランティアによって支えられているという点で、日本の点字図書館の模範となっています。

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点字投票を世界で最初に実現した日本

日本の点字文化の進展において、特筆すべき最初の出来事は、1922年(大正11年)に毎日新聞社が週刊誌「点字毎日」を発刊し、今でもなお継続しているということです。
今でも、一般企業が視覚障害者のことを考えて点字の資料を採算を度外視してでも提供するといったようなことは、ほとんど行われていません。
現に、朝日新聞社は一時「点字朝日」の発行を試みましたが、長続きはしませんでした。

第2の大きな出来事は、1925年(大正14年)に、点字投票に関する事項が衆議院議員選挙法の中に組み込まれ、点字での投票が正式に認められたということです。当時、市川房枝などの婦人参政権運動が非常に活発に行われていました。点字投票を求める運動も、これら婦人圧力団体と共同して行ったものですが、明らかに社会的には、婦人参政権運動の方が目立ち、点字投票運動はほとんど気にも留められていませんでした。ところが、この時点で点字投票の方が最初に認められ、婦人参政権は戦後になるまで待たなければならなかったのです。このような背景を考えると、当時の役人達は点字のことを全く理解できず、その問題の重要性を認識しないまま、何となく通してしまったのではないかとも思えるくらいです。あるいは、もしかすると、非常に気骨のある役人がいて、このような状況を利用して点字投票を認める方向に事務を進めていったのかもしれません。いずれにしても、国勢レベルでの点字投票に関しては、日本は世界で最初に実現した国なのです。

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日本における最初の点字図書館

日本では、1929年(昭和4年)9月に、名古屋市立図書館の中に点字文庫が併設されたのが、点字図書館の始まりだと言えます。実は、名古屋というのは、先に述べた点字投票運動の中心地だったのです。ですから、当時は名古屋の盲人団体には非常に活気があり、それがこのサービスを開始させる原動力になっていると考えられます。
この点字文庫がオープンしてから1ヶ月間の貸し出し実績は、蔵書数が353冊なのに対して、館内閲覧者が135名、館外貸し出しが446件ということですから、大変な活気だと言えます。しかも、開始当初は、館内閲覧は無料でしたが、館外貸出の場合には1回2円の補償金を預かっていたのです。
残念なことに、この点字文庫は昭和20年(1945年)3月の空襲で3000冊以上にも伸びていた蔵書すべてを失って、その活動を中断してしまいました。昭和28年(1953年)11月に、名古屋市鶴舞(つるま)図書館点字文庫として復活し、現在に至っています。

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日本ライトハウスの起こり

1933年(昭和8年)、イギリスのエディンバラ大学の留学から帰国した盲人、岩橋武夫は、大阪盲人協会の会長となり、ライトハウス運動を展開します。
その後、岩橋は米国を視察し、帰国した1935年に篤志家の寄付を受けて10月に大阪市阿倍野区に会館を完成し、視覚障害者の総合的なサービス機関としてスタートし、翌1936年に、世界で13番目のライトハウスとして公認されます。これが、現在の日本ライトハウスの始まりです。
その後、岩橋は戦前の1937年と戦後の1948年にヘレン・ケラーを米国から招き、一般社会に向けて障害者のアピールを大々的に行いました。今では、日本ライトハウス盲人情報文化センター(点字図書館部門)は、東京の日本点字図書館とならぶ二大点字図書館の一つです。

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日本点字図書館の起こり

1918年(大正7年)に北海道で生まれた本間一夫は、6歳で失明し、15歳で函館盲唖学院に入学します。
関西学院大学の英文科を卒業した後、1年間の就職生活を経て、1940年(昭和15年)11月に、日本点字図書館を設立します。
日本点字図書館と先の日本ライトハウスとの目的の違いは、日本点字図書館はもっぱら図書を視覚障害者に提供することに業務をしぼってスタートした所にあります。
設立直後に太平洋戦争が始まり、非常に厳しい運営を余儀なくされ、1943年に新宿区諏訪町に建てた木造の会館も、1945年5月の空襲で焼けてしまいます。
ところが、本間の先見性によって、1944年4月には茨城県へ、1945年4月には北海道へと疎開し、蔵書を失わずにこの戦時を切り抜けたのです。
疎開中にも、疎開先から全国の盲人に点字図書を貸し出し続けていました。
こうして、本間の目指すところの図書館事業は、今までとぎれることなく、継続されているのです。

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視読協の運動

点字や録音の発明と普及によって、視覚障害者の読書環境が徐々に整ってくるにつれて、「もっと勉強したい」、「もっとよく知りたい」という要求が高まってきます。
このような気運の中から、1970年6月に視覚障害者読書権保障協議会(視読協)が結成されました。
このグループは、日本盲学生会、盲学生図書館SL、東京都視力障害者の生活と権利を守る会(東視協)、都立日比谷図書館利用者の会、都立日比谷図書館朗読者の会の連合体として結成されたものです。
初代の代表・橋本宗明は当時東視協の代表として参加し、後に全日本視力障害者協議会(全視協)の会長を務めました。
日本盲大学生会から参加した市橋正晴は、株式会社大活字の創立者でもありますが、1997年4月23日になくなるまで事務局長を務め、視読協の理念をまとめ、運動を実質的に先導していきました。

視読協では、「読む」ことを人権として捕らえて、「読書権」をスローガンに活動を開始し、1998年4月に解散するまで公共図書館の開放や障害者に対する著作権の問題などに取り組みました。
視読協の運動は、まず、公共図書館がその蔵書を障害者にも開放すべきであるという主張からスタートしています。これは、公共図書館はその地域住民に対して読書権を保障する機関であり、その地域住民には障害者も含まれているのだから、障害者も読むことのできる形での図書の提供が行われなければならないというものでした。
日本では、それまで点字図書館が視覚障害者向けの読書を一手に引き受けていたのですが、視読協の運動の結果、多くの公共図書館が、障害者の館内閲覧を保障するために対面朗読を実施し、点訳図書や音訳図書を製作して貸し出すようになりました。
公共図書館が障害者サービスを行うようになって、これまでは印刷物が読めない障害者として視覚障害者しか想定されていませんでしたが、活字を凝視できない方や寝たきりの方など、とにかく文字情報にアクセスするのが困難な人達をすべてサービス対象として包含することとなりました。

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