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点字の歴史 アーカイブ

2005年09月07日

琵琶法師

日本においては、平安時代末期に、琵琶を奏でながら語る琵琶法師という盲目の語り部達が現れました。
彼らは、鎌倉時代に入ると、「平家物語」を語る「平家琵琶」となり、江戸時代末期までその文化が花開きます。
当時の日本には、文字はあっても印刷技術がなかったため、文化を伝える手段としては、手書きによる写本かまたは語り伝えるというやり方しかありませんでした。
おそらく、当時は晴眼者ですらその多くが「言い伝え方式」でいろんなことを習得していたのでしょうから、その意味で、視覚障害者の抱える文字に対するハンディは、今よりもかなり小さかったと言えます。

2005年09月10日

印刷の発明で広がった情報格差

15世紀後半にグーテンベルクが開発した印刷技術が16世紀になってヨーロッパに広まると、まず最初に聖書が大量に印刷され、ルターやカルビンによって宗教改革が展開されます。
この段階から晴眼者の文字文化は急激に進歩していきます。

一方、盲人にとっては記録を自分で残す手段と他者が残した記録を読む手段がない状態が長らく続きます。
ここにおいて、晴眼者と視覚障害者の文化的格差は見る間に広まっていきました。

2005年11月19日

暗号として生まれた点字

点字は、ナポレオン軍によって暗号として使われていました。
実は、さらにその前の、フランス革命前のルイ16世の軍隊でも使われていたようです。
というのは、1815年に最初に点字を発表したバルビエという人は、ルイ16世軍の砲兵だったからです。
ロベスピエールも点字を使っていたのでしょうか?ちょっとそれは不明です。

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なぜバルビエは点字を発表できたのか

バルビエが点字を発表した1815年という年には注目すべきです。
ナポレオンが完全に敗退して、戦後のあり方を検討したウイーン会議は1814年。つまり、点字が発表されたのがウイーン会議の後だったのです。
このことからも、点字が軍の暗号として使われていたことが容易に推察できます。

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バルビエの盲人への思い

盲人に役立つのではないかということでバルビエが点字を発表して以来、パリ盲学校で、バルビエ点字を改良する試みがなされました。
1815年に最初にシャルル・バルビエが発表したのは、軍事用で暗闇でも情報伝達ができることを目的に考案されていた11点点字でした。
その後、パリ盲学校は、1821年に、このバルビエの11点点字を盲人用として採用します。
翌年の1822年に、バルビエはこれを改良した12点点字を発表し、パリ盲学校はすぐにこれを正式採用します。
このように、元軍人のバルビエの盲人に対する思いがなかったとすれば、点字の登場はもっと大幅に遅れていたことは間違いありません。

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盲人の文字に生まれ変わった点字

バルビエ点字はパリ盲学校でさらに研究され、1821年に盲学校内での正式な教育文字として採用されました。
この点字で教育されて育ったのが、現在の6点点字の父、ルイ・ブライユです。
ブライユは、縦長の指では読みにくいバルビエ点字を改良して、縦3点、横2点の6点式点字を考案しました。
そのとき、1825年、ルイ・ブライユ16歳のときでした。

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点字の発明

ルイ・ブライユは、アウイの凸字とバルビエの点字で教育を受けた結果、点字の方が便利だという結論に達しました。
しかし、バルビエの12点点字は、縦に長すぎて、速く読むことが難しいという欠点に気付きました。
1825年、ブライユ16歳の時に読みやすさを重視した縦3列、横2列の6点点字を考案し、12点点字の点字板を用いて、実際に使い始めました。
17歳の時に音楽の科目を教えることとなったブライユは、楽譜にも自分の点字を用いるようになりました。
その便利さを確信したブライユは、1829年にパリ盲学校にて正式に自分の考案した6点点字を発表しました。

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点字の発明年は?

点字がいつ発明されたのかということについては、書物によって記載が異なることがあります。
ブライユが実際に使用し始めた1825年、
ブライユが音楽の授業で使い始めた1826年、
ブライユがパリ盲学校内で教育への正式採用を求めて発表した1829年、
パリ盲学校が楽譜点字を正式に教育に採用すると決めた1852年。
この中で、ブライユが盲学校内で発表した1829年を点字発明の年と記載する書物が多いようです。
本サイトでは、ブライユが実際に使い始めた1825年を点字発明の年とします。
本人にインタビューすると、そのように答えが返ってきそうなので。

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ブライユ点字採用の遅れ

ブライユの発明による6点点字は、母校のパリ盲学校でさえも、正式に採用するに至るまで発表から25年間かかっています。
自分の手元で完成したのが1825年、盲学校内で発表したのが1829年、楽譜点字がパリ盲学校で正式採用されたのが1852年、フランス語点字が正式採用されたのが1854年という流れです。
このような事情からも推察されるように、他の国に広まるのは19世紀の後半になります。

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イギリスにおけるブライユ点字採用の経緯

イギリスでは、元開業医の中途失明者、トーマス・アーミテージが1868年に英国内外盲人協会を設立すると、盲人にとっての最良の文字に関する研究に本格的に取り組みました。その時点までは、イギリスでは数種類の凸字による教育が乱立していて、入学する盲学校によって教育される文字が違うという状況でした。
アーミテージは、盲人用の文字が混沌状態で乱立している原因として、晴眼者が盲学校を支配している状況に問題ありと考え、全盲もしくは弱視の視覚障害者で3種類以上の凸字が読める人達を集めて委員会を結成しました。
この委員会で試験と検討を重ねた結果、ローマ字をベースとした凸字は、触覚の鋭い盲人が長期の訓練を受けてようやく滑らかに読むことができるようになるものであることが判明しました。よって、凸字を採用することは、視覚障害者が自ら読書する権利を放棄することに等しいという結論に達し、満場一致でブライユ式点字を採用することとなったのです。

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米国における点字戦争

米国では、1835年以来、ボストン・タイプという凸字が盲教育の主流となっていました。
ブライユの点字が紹介された後、ニューヨーク盲学校の校長を務めていたウエイトは、もっと紙面を節約できないかと考え、ラスとともに1868年にニューヨーク・ポイントという新しい点字を考案しました。この点字は、1マスの構成が縦2点、横4点というもので、今世界で使われている6点点字とは大幅に異なるものです。ウエイトは、非常に熱心にこの点字の普及に努めたため、米国では、ニューヨーク・ポイントがかなり大きな地位をしめるようになりました。
一方、これに反対したパーキンス盲学校長アナグノスは、教員のスミスに新しい点字を研究させ、これがアメリカン・ブレールとして1892年に確立されます。このアメリカン・ブレールは、現在の点字と同じように、1マスが縦3点、横2点から構成されますが、英語において出現頻度の高い文字に少ない点を割り当てており、ブライユが決めたアルファベットとは大幅に異なる点を採用していました。
このようにして、米国では、ニューヨーク・ポイント、アメリカン・ブレール、ブライユ点字、そしてまだ勢力を保っていた凸字のボストン・タイプが乱立する時代がしばらく続きます。
これは、結局、1915年にブライユ点字をベースとした標準米国点字が合意され、1932年にイギリスの委員会との合同会議で英語共通の点字を合意するに至って、ようやく英語点字の完成を見ました。

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日本点字の考案

日本では、1878年に京都に、1880年に東京に盲唖院が設立され、盲教育が始まりました。
当初はやはり凸字での教育が行われていましたが、1887年に小西信八と石川倉次が教員になると、石川を中心に、早速点字の研究に取りかかり始めました。
石川倉次を中心とする何人かの教員と数名の生徒は、アルファベットを表現することのできるブライユ点字を、カナをも表現できるように、いろいろな案を出し合い、議論を重ねていきました。
1890年の秋に至って、石川の案、教員・遠山国太郎の案、生徒・伊藤文吉と室井孫四郎との共同案の3案にしぼられ、点字選定委員会の会議を数回繰り返した後に、最終的に石川案に決定しました。

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点字プリンタの研究

1945年に米国で最初のコンピュータENIACが開発されて以来、コンピュータは主に軍事用に用いられ、発展してきました。1950年代後半になると、コンピュータを事務用に用いるための研究も徐々に進み、事務用開発言語COBOLなども登場してきます。
このような歴史的流れの中で、コンピュータを用いて点字を打ち出そうという試みも始まります。
1957年(昭和32年)、東京教育大学(現筑波大学)教育学部特殊教育学科は、日本電信電話公社(現NTT)武蔵野研究所の協力を得て、紙テープによる最初の点字プリンタを試作しています。また、同じような研究が1960年頃米国で行われています。
1969年、米国フロリダ州でジョン・ガンター、ラリー・エリア、ガイ・カーボノーの大学生3人が、目の見えないクラスメイトに対して何とか点字の資料を提供しようと考え、共同で紙テープ式点字プリンタを開発しました。この仲良しグループが1970年代初頭に起こした会社がトライフォーメイション・システムズであり、世界最初の点字プリンタ・メーカーとなったのです。
この会社は、1980年代に入って、イネーブリング・テクノロジーズ・カンパニーと名前を変え、「ロメオ」、「ジュリエット」、「ET」などの優れた点字プリンタを21世紀に入っても世界中に流通させています。

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点字プリンタの発展

1972年、日本タイプライターに勤めていたエンジニア、岡崎史郎は、岡山盲学校の点字製版機の修理などを頼まれてやっているうちに点字に興味を持ち、紙テープで印刷するタイプの点字プリンタを開発しました。岡崎はこの製品を持って仲間数人と独立し、岡崎事務機製作所を設立しました。
この点字プリンタは、6点漢字の考案者、長谷川貞夫が2台購入し、1973年1月の初の墨字データからの点字印刷及び1974年12月の初の点字入力からの墨字印刷に用いられ、大きな歴史的役割を果たしています。
しかし、営業が得意ではなかった岡崎は、会社経営に失敗し、早くも1973年には岡崎事務機製作所は解散してしまいます。
その後、岡崎は1970年代後半に翼システムという会社に入社し、日本で初の普及型点字プリンタ「翼プリンタ」を開発します。
こうして、1980年代後半になると、米国の「ロメオ」、「バーサポイント」、ドイツの「ティール」、日本の「ESA」や「翼プリンタ」、「オーツキ・プリンタ」などの実用機がようやく日本国内に普及してきます。

1990年代に入ると、表面と裏面を同時に打ち出す点字プリンタが開発され、米国イネーブリング・テクノロジーズ・カンパニーの「ジュリエット」や「ET」、スウェーデン・インデックス社のブレイル・エベレスト、ブレイル・ベーシックなどの輸入製品もよく使われるようになってきました。
イネーブリング・テクノロジーズ・カンパニーが1990年に発表した「ブック・メーカー」は、世界最初の両面同時印刷型点字プリンタであり、その技術が「ジュリエット」や「ET」などに継承されています。

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点字ディスプレイの発展

パソコンが普及してくると、画面に表示されている内容を点字でみたいという要求が視覚障害者の中から生まれてきます。この要求を実現する機械が点字ディスプレイです。
点字ディスプレイの製品化は、米国、イギリス、フランス、ドイツ、日本などでほぼ同時期に実現してきます。

1980年代に入ると、オプタコンで知られる米国のテレセンサリー・システムズは、「バーサ・ブレイル」というパソコン内蔵型の点字ディスプレイを商品化します。
同じ頃、ドイツのパーペンマイヤー社の「ブレイレックス」、フランスのエリンファ社の「エリンファ」、イギリスのクラーク・アンド・スミス社の「ブレイリンク」などが発売されます。

一方、日本では、やや遅れて1985年に工業社(現ケー・ジー・エス)が「コミュニケーター40」を発売します。
初期の頃の点字ディスプレイの中には、パソコンを内蔵したものが比較的多く、パソコンに接続して使うこと以外に、単独の持ち運び用機器としても使えるようになっていました。

1980年代後半から1990年代になると、特にヨーロッパ諸国で点字ディスプレイに対する価値が大きく認められ、北欧諸国やドイツ、オランダなどで点字ディスプレイ購入に対する政府補助が出るようになりました。
その結果、ドイツのバウム、フランク・オーディオ・データ、ハンディテック、オランダのティーマン、アルバ、フランスのユーロ・ブレイルなどの点字ディスプレイ・メーカー各社が台頭し、優れた点字ディスプレイを次々と発表してきます。
日本では、これらヨーロッパのメーカー各社に点字のマスの部分を販売しているケー・ジー・エスが、「JCOM」、「ブレイルノート」などの点字ディスプレイを商品化します。
現在、日本においては、ケー・ジー・エスの「ブレイルノート」が主に用いられ、ヨーロッパの優秀な点字ディスプレイはあまり用いられていません。
これは、海外の製品を導入するためのソフトウェアの準備が十分になされていないことによります。

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パソコン点訳の普及

従来、点字図書館は目の見える人達に点字講習会を行い、その中から優秀な人達を点訳ボランティアとして委嘱して、点訳図書を作成してきました。できあがった点字図書は、点字板で書いたにしても点字タイプライターを用いたにしても、世界中に1冊しかない写本でした。
1970年代後半になると、米国、ドイツ、日本などでコンピュータ用の点字プリンターの開発が本格化してきました。
1980年代に入ると、いよいよ実用的な点字プリンターが出回り始めます。これに伴って、点字を書くためのソフト、つまり点訳ソフトのニーズが高まってきます。
筑波大学附属盲学校の盲人数学教諭、高村明良は、点訳ソフト「コータクン」を開発し、1987年に親交のある点訳ボランティア・グループ「つつじ点訳友の会」から発売します。これ以前にも、日本点字図書館などの一部の点字図書館では、専用の点訳ソフトを用いていましたが、誰でも購入して使うことのできる点訳ソフトとしては、「コータクン」が日本で最初のものです。
翌年の1988年にはニュー・ブレイル・システムから「ブレイルスター」が発売され、1990年には、後に非常に普及するフリーウェア・ソフト「BASE」が発表されました。

一方、日本IBMは、「IBM・点訳ひろば」という点訳ボランティア・ネットワークを組織化し、「BE」という点訳用のソフトを無償配布しました。この「BE」は、後に「BES」という名で有償ソフトとなり、1999年1月より「WINBES」として、再びフリーウェア・ソフトとなっています。
これらのソフトは、点字を知っている人が点字を編集するためのものですから、次に述べる自動点訳ソフトとは、性格の全く異なるものです。
これまで、パソコン点訳は、点字を習得した点訳者がこれらのソフトを駆使して、点字データを作成することによって発展してきました。今では、点字図書館にしても公共図書館にしても、点字資料のかなりのものが、点字データとしてパソコン用のフロッピーディスクなどに収められています。
パソコン点訳の普及により、製作者側の労力が大幅に軽減されたため、1970年代以来音訳にかなり押されていた図書の製作タイトル数が、かなり点訳に戻ってきました。

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自動点訳の進歩

一方、漢字かな混じりのデータから点字のデータを直接作る自動点訳ソフトの研究は、1973年1月に長谷川貞夫が東大点友会の辻畑好秀とともに行った紙テープからの点字印刷にその源泉を見ることができます。

ところが、実際にそれが商品化されるまでには、16年の歳月を待たなければなりませんでした。1989年、言語工学研究所は、大量の点訳辞書を装備した「がってんだ」を発表し、漢字かな混じり文からの点字への変換が実用化しました。また、同年、福祉システム研究会から「80点」がフリーウェアとして発表されています。

静岡県立大学国際関係学部教授・石川准は、自らの研究活動の効率を高めるため、漢字かな混じり文のテキストを正確な点字に変換するソフトを開発し、1991年9月にアメディアがライセンスを受けて「EXTRA」の名で発売します。

このソフトは、英語の2級略字表記にも対応しており、この分野においても、技術的に高いレベルでの競争状態が実現しました。

これらのソフトは、
(1)漢字を含む文字列に正しい「読み」をふる、
(2)「かな使い」を点字の規則に従って変換する、
(3)点字の規則に従って「わかち書き」を行う、
の3種類の作業を行います。

1993年9月に発売された「EXTRA Ver.2」では、地名や人名なども含む変換効率が大幅に向上しました。
1995年9月に発売された「EXTRA Ver.3」では、変換速度がこれまでよりも大幅に向上しました。
そして、1998年9月にWindows版のVer.1が発売となって、その後も2001年にVer.2、2003年にVer.3、2005年にVer4と、着実にバージョンアップされています。

これらの自動点訳ソフトは、いわゆる機械翻訳ソフトと同じような性格を持っており、点字を知らない人でも、手軽に点字資料が作成できるという利点があります。
ただし、翻訳と同じように、100パーセント完璧な点訳とはなりませんので、図書館蔵書の作成など、完璧さを要求される場面においては、点訳ソフトによる校正という手順を踏む必要があります。
むしろ、一般学校で学ぶ盲生徒やその関係者、一般企業で働く視覚障害者やその同僚などによって、すぐに点字資料を作成する必要がある場合に利用されており、視覚障害者のノーマライゼーションを促進するソフトになっています。

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川上式漢点字

大阪府立盲学校教諭・川上泰一は、点字1マスを8つの点で表し、これを2マス用いて漢字を表現する漢点字体系を1967年に発表しました。

縦に4列、横に2列の8点式であり、ブライユによって発明された6点式とは異なり、どうしても読み速度は6点式に比べると低下しますが、多数にわたる漢字を区別するための川上の工夫でした。

これは、コンピュータによる点訳や代筆を意識したものではありませんでしたが、1980年代に入ってから、コンピュータとのインタフェースの一つとして用いられるようになりました。

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長谷川式6点漢字

東京教育大学附属盲学校(現・筑波大学附属盲学校)教諭・長谷川貞夫は、1972年に、自動代筆と自動点訳を目標に、6点漢字を発表しました。

これは、一般的な6点点字3マスを使って、漢字1文字を表すというものです。

縦長になる8点式の漢字と比べると、すらすらと読める利点があります。

川上式の漢点字が漢字の形にこだわって考えられたのに対して、長谷川式6点漢字は、漢字の音訓の読みの区別にこだわって開発されました。

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盲人用ワープロの夜明け

6点漢字を考案した長谷川は、点字による漢字表現を確立することにより、墨字データと点字データとの1対1の変換が可能になると考えていました。

1974年12月、長谷川は当時東京大学の学生だった辻畑の協力を得て、6点漢字データを記録した紙テープから漢字かな混じり文の墨字を印刷する実験に成功しました。

当時は、漢字を印字することのできる墨字プリンタやこのような大量のデータを用いるプログラムを実行できるコンピュータを個人で持つことはできなかったので、この実験は国立国会図書館のコンピュータを借りて行われました。

この実験により、長谷川は、視覚障害者として世界で始めて機器を用いて漢字を書いた人物となりました。

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盲人用民生ワープロシステムの登場

高知システム開発は、1983年、長谷川式6点漢字入力機能を搭載した「AOKワープロ」を、NEC・PC-8801対応でリリースしました。

このワープロ・システムでは、通常のキーボードのうちの6つのキーを点字タイプライターのキーと見なして入力でき、それによる6点漢字による入力が可能で、外付けの音声合成装置「SSY02」によって入力の音声によるフィードバックや書いた文書を連続的に読み上げさせる機能を日本で初めて実現しました。

これにより、6点漢字を知っていさえすれば、目が見えなくても墨字が書けるという社会的環境が整いました。


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漢点字ワープロの進歩

漢点字を用いたものでは、鳴門教育大学の末田統(おさむ)により1983年に大型機を用いた「IBTU」、1985年にパソコンを用いた「BRPC」が、システム・ソフトとして開発されました。

そして、1984年に長野工専の茅野(ちの)によって開発された「チノワード」は、NEC・PC-66シリーズに対応しており、個人向けの低価格なワープロ・ソフトとして、多くの漢点字ユーザーに親しまれてきました。

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