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春うらら
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「努力」と「工夫」そして「頑張れ」の声援

 私は根性無しです。すぐにへこたれてしまいます。
きっと、視力や聴力、握力などの能力と同じように、
「努力」にも個々の数値があるんじゃないかと、常々思ってきました。
 義務感に囚われる好きじゃないことや最初から苦しそうなことに対しては、
「努力」しなければと自分を叱咤することになり、さらに苦しさを募らせてしまいます。
 しかし、好きなことに対してなら、この「努力」という重い言葉が「工夫」という
わくわくする前向きな言葉に取って代わるような気がします。

 中学生の頃、私にとっての白杖単独歩行は、「努力」を要する物でした。
今では廃校になってしまった地方の小さな盲学校の小学部にいた私は、
きちんとした歩行訓練も受けないまま、筑波大学附属盲学校の中学部に進んだのです。
そんなわけで、周りの友人たちに比べて、どうしても一人歩きが下手だったし、
怖くもありました。
 ところが、高等部に上がってから、急に人一倍一人歩きする全盲生になってしまいました。
(この話はあちらこちらでしているので、ミミタコになっている方もおられるかもしれませんが、
ご勘弁を。)それは、“THE ALFEE”のファンになり、
コンサートやライブイベントに自力でいけるようにしたかったからなのです。
また、行った先で、同じALFEEファンの友達ができ、
彼女たちと一緒におしゃべりを楽しんだりしたいという熱い想いにも駆り立てられ、
単独歩行に対する「努力」は、楽しみに近づくための「工夫」へと変わっていったのです。
 その後も、ロックキーボード教室やポピュラーヴォーカル教室への通学、
宝塚観劇にはまるなど、次から次へと興味深い要素が出てきて、
現在の私=一人歩きの自由を謳歌している私が出来上がってきたわけです。
 その間、さらに面白い発見もありました。
やはり、一人で歩いていると、嫌な思いも多々あるのですが、
それ以上に心温まるふれあいを経験する機会が多いのです。
慣れていない駅などで途方に暮れていると、
「お手伝いしましょうか?」とか「ご一緒しましょうか?」と声をかけていただけることがあって、
その優しさに胸がキュッと鳴るような喜びを感じるのです。
さらに、そうやって出会った人の中には、とても話が合う人もいたりして、
たった数分の中でとても心が弾んだり、
それがきっかけでお友達付き合いするようになったりするケースもあるのです。
 また、一人で入ったお店の店員さんも、
 最初は視覚障害の私への対応に戸惑ったりされるのですが、
にこやかに「こうしてほしい」とお願いするうちに、
とても親切な店員さんに変身していったりするのです。
「めんどうだ」とか「じゃまだ」とか思うような人は無理かもしれませんが、
そういう人は案外少なくて、「どうしたら良いかわからない」という人が
多いように思われます。そういう人たちが親切な店員さんに
変身していってくださるようなのです。(もちろん、お忙しそうなときには、
こちらも思いやりを持って、要求は控えめにすべきですが。)
 そして知りました。視覚障害者である私が街を歩けば歩くほど、
その街は親切で素敵な街になっていくらしいと。
 また、義務でなんとかしなければならない「努力」も、
その中に興味を持てる要素を見出し「工夫」するという感覚にすり替えていくことができれば、
楽になることが多いに違いないとも思うようになりました。

 物事をポジティブに考えて行くのって、本当に素敵なことです。
ちょっと視点を変えますが、最近は「頑張れ」っていう声援も
「既に頑張ってるのにプレッシャーをかけるだけの無責任な言葉だ」と
捕らえる向きも多いようですが、「頑張れ」の言葉を発した人の心を「無責任」と捕らえずに
「優しさから出た言葉だ」と捕らえてみると、ストレッチ運動で力を抜いたときみたいに、
それまで頑張ってきた以上に実力を発揮できたりもすると思います。

 というわけで、根性無しのへこたれ屋でも、今日も「めーたん、頑張って」と仲間の
優しい声援を嬉しく受け止めつつ、自分なりにいろいろ「工夫」して、
芝居の稽古に励む美月なのです。


ながら仕事でもホームページが楽しめる音声ブラウザ・ボイスサーフィン


(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)



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by amedia  at 15:56