話芸の大切さ
先日、私も参加していた筑波大学附属盲学校(旧・東京教育大学附属盲学校、現・筑波大学附属視覚特別支援学校)の落語研究会のOBを中心に活動している『楽笑会(らくしょうかい)』が25周年を迎えたということで、それを記念した4枚組みCDをいただきました。
みんな、別に仕事を持ちながら、それでも落語が大好きで長年研鑽を積んできた人ばかりで、中にはプロの噺家顔負けの人も数名います。
中でも、長年落語研究会とこの楽笑会の顧問としてお世話してくださっている鶴ノ屋一声(つるのや いっせい)師匠は、名人クラスの味わいのある素晴らしい話芸の持ち主です。ご自身も弱視で、私が学生だった当時までは理療科の先生をなさっておられました。詳しくは伺っていないのですが、きっとご自身が現役の盲学校生徒だったころから続けてこられたのではないかと思います。今回のCDには、楽笑会の前身である『帯の会』で演じられた「寄り合い酒」が収録されていたのですが、この録音がなんと昭和47年の物で、確かに音質は劣化していたものの、その音の悪さがさらに拍車をかけて、まるで志ん生や先代の金馬と並ぶ名人上手のお一人のように聞こえました。とにかく、江戸っ子らしい、実に軽妙な歯切れの良い演技なのです!改めて惚れ直してしまいました。
他にも、魅力的な語り口を聞かせてくださる先輩がいっぱい!
また、さすがに25年も経つと、メンバーもおとっつぁんになっていたりして、息子も高座に上がり、親子共演を果たしているケースもあり、感慨一入なのです。
改めて、継続する力の強さに感動させられてしまいました。
このCDを聞いているうちに、私は「視覚障害者にとっての話芸」に想いを馳せていました。
古くは、琵琶の演奏をしながら弾き語りで平家の悲しい末路を語り継いだという「琵琶法師」がいました。有名な怪談である「耳なし芳一(ほういち)」が正にその琵琶法師です。
また、江戸時代の盲人の職業の一つに、金貸し業というのがありましたが、おそらくこれも巧みな話芸が物をいう仕事だったに違いありません。
そして、wikipediaによると、明治以降になると、プロの落語家にも、視覚障害の人が何人か見受けられるようです。
すなわち、明治後期から大正前期に活躍した落語家、初代柳家小せん、(やなぎや こせん)通称「盲(めくら)小せん」。明治後期から大正前期に上方(かみがた)で活躍した落語家、3代目桂文三、通称「盲目の文三」。
そして、現役で活躍中の上方落語の名手・笑福亭伯鶴(しょうふくてい はっかく)師匠も、盲目の落語家さんで、とても素敵なお声で語られます。
実は、斯くいう私も、楽笑会で3回くらい高座に上がらせていただいたことがあるのですが、落語という物は単に話せれば良いわけではなく、手ぬぐいと扇子を巧みに操り、座布団という小さな空間の中でいろいろな所作をして、「見せる演技」も必要とするため、先天性の視覚障害者である私にはかなりきつい物でした。
でも、私はその話芸の部分が、今の朗読や芝居にもつながっているのだろうなと思ったりしています。
しかし、特技として見せたり聞かせたりする落語や朗読の技術を高めるということでなくても、視覚障害者にとって「話す力」はとても大切な物なのではないかと思います。
多くの視覚障害者が携わっている三療業も、いわば接客業ですから、ラジオやテレビでいろんな話題を入手しては、治療しながら患者さんを楽しませることができれば、それだけリピーターも増えるかもしれません。
さらに、日常生活においても、目やゼスチャーで語ることができない分、言葉で適切に伝える技術を持っているほうが、そうでない場合よりずっと生き易いのではないかと思うのです。自分の欲する物もロスタイムなく得られるでしょうし、また対人関係も良くなり、お友達も増えるかもしれません。
というわけで、人皆全てそのほうが良いのですが、特に視覚障害者の同朋の皆さんは、ぜひとも「話す」ことを意識して暮らしてみませんか?
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